こんにちは。そして、初めまして。
運営スタッフのS・Tです。
早いもので、今年もあと一週間となってしまいました。僕が文芸賞運営委員会に携わってまだ二か月あまり・・・。ビラ配りやポスター貼りなど、地道な作業しかまだやってないのですが、こういう活動がどれだけ影響を与えて、どれだけの人が作品を応募してくれるのか。僕にとっては未知なんですけど、楽しみでもあります。なので少しでも気になった方、ぜひ応募してみてください。
さて、ここで終わっては味気ないので日本語にまつわる面白い話を紹介します。
日本語の言語環境って察し合うってことを大切にしますよね。特に親しい関係性の中だと、相手がすべてを言わないうちに先回りして相手の意向を察するってことが多いはず。ただ、欧米の方々も察し合うってことは非常に大事にされているようで、日本独特の文化・・・とまではいかないようです。しかし、しばしば日本ではその察し合うってことが行き過ぎることがあるようです。
たとえば、幼児期の子供の考えを親は先回りして理解してしまうこと。このため、自分の考えを最後まで明確に言わなくてもどこでも自分の考えが相手に伝わるものだと思い込む子供が大勢います。次の話はそのような状況で育ち、ドイツに留学した女子大生の失敗談。
≪彼女は留学先のドイツでホームステイをしました。そこでは暖かく迎え入れられて、まるで自分の家のような感覚で毎日を楽しく過ごしました。ある日、彼女はのどが渇いたので台所に行き、そこにいたその家の主婦に「ミルヒ(牛乳)!」とただ一言だけ告げました。
彼女の家ではその一言で、牛乳が用意されるはずだったのですが、そこはやはり彼女の育った環境ではないため、当然用意されるはずもありません。ただ、ドイツ人の母親は、驚いて振り向き、「何かしら?」と対応したものの彼女が突っ立ったまま何も言わないので再び家事に戻ってしまいました。そこでもう一度、少し大きめな声で「ミルヒ!」というと、主婦は今度ははっきりと彼女のほうを向き、こう言ったそうです。
「牛乳はわかったけど、あなたはいったい何を望んでいるの?」
そういわれて彼女は初めて「牛乳!」だけでは意思疎通ができないと気づきました。≫
空気を読むって最近流行ってますが、なんとなくこの主婦はKYなんではないか・・・なんて考えついたりもしますが。日本語的な表現や慣習を本当に相手が理解できるか否か、それをよく考えなければ・・・と改めて思ったお話でした。
まぁ、これを載せるからといって特に意図することはないのですが(´・ω・`)
うーん、読み返せば読み返すほど、どうしたもんかなと思う稚拙な文章(笑
とにかく最後に言いたいことは、
来年も文芸賞運営委員会をどうぞよろしくお願いします!
ってことです、うんヽ(´ー`)ノ
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